かつて『平城京』は、日本のはじまりとしての国づくり、中国の長安(しーあん。現在の「西安」)に倣った街づくり、東アジアとの盛んな国際交流によって、「咲く花のにおうが如く今盛りなり」と謳われた都でした。
 ところが74年で幕を閉じ、京都に都が移ってしまうと、100年を待たずに廃れてゆきました。

 およそ1200数十年が経ち…平城宮跡は、春には蓮華の咲き乱れるピンクの絨毯、夏は若草萌ゆる緑の海原で、中央を電車が走り抜ける「だだっ広い原っぱ」に過ぎず、かつての面影はありませんでした。

 一方奈良には、古代に始まり今に受け継がれている、世界に誇れる有形無形の文化遺産が数多くあります。

 その中のひとつである「能」の、大和四座と呼ばれる観世、宝生、金春、金剛の四流派は奈良が発祥の地です。
 また奈良には、野外の能舞台や古い能舞台、謡に登場する場所や遺跡が数多く現存し、まだまだ多くの「発見!」がある不思議ワールドです。
 さて、この世は、いつの時代も不確かな現し世(うつしよ)
 そんな中、「能」や中国の伝統芸能「昆曲」が、何百年にもわたって守り続けられてきたのは何故でしょう。
 それは、親から子に、人から人に、強い使命感に基づいた人々が、自らの人生を投じて来たからこその存続ではないでしょうか。
 中でも「金春流」の遠祖は聖徳太子の寵臣、秦河勝(はたかわかつ)にまで遡り、明治維新の経済危機をも乗り越え、大和四座の中で唯一、奈良を離れませんでした。

 単に美しいというだけにとどまらず、芸で培った何ごとにも揺るがない精神力は、私たちに大きな感動と勇気を与えてくれます。

 平城遷都1300年という節目において、「文化遺産を伝えること」「時と国境を越えて一つになること」をテーマにした舞台【zhu JI SI AONIYOSHI 祝祭祀あをによし】(「zhu JI SI」とは「祝祭祀」の中国語読みです)。

 総合演出の金大偉は清王朝の末裔で、現在、東巴(とんぱ)や満洲の失われつつある文化を、自ら製作する映像と音楽で表現し、伝えてゆく活動を行っています。
 そのような流れを汲んでいるからこそ、平城(なら)の都の悠久なる息吹と文化の香りを郁郁しく蘇らせ、なおかつ文化を守り続けることの大切さを伝えることができるのではないでしょうか。

 お近くの方はもとより、ぜひ奈良にお越しいただき、ご観光にご観覧に、お楽しみいただきたいと存じます。
2008年11月3日 【zhu JI SI AONIYOSHI 祝祭祀あをによし】